どうして私が東京大学を中退したのか反省する会

東京大学を中退した人が何が原因なのか考えて悔いて反省して笑い飛ばす

東京大学という日本最高峰のストレステスト機構

はじまりはストレステスト

大学へ入学した、夢と希望に溢れた4月。真っ先に謎のオリエンテーション(?)的なもので学生はストレスに晒される。「実は何か重要な情報が得られるのではないか」という淡い期待からつい参加してしまったのだが、有益な情報はロクに得られず、「やることがねえ」という暇な時間がひたすら続いた。よくわからん上級生の身内ネタに付き合わされることもあったが、何も面白くなかった。

どうやら東京大学では高校時代のように「クラス分け」がされていて、そこのコミュニティを中心として2年間ほど生活する、という伝統があるらしい。クラスとの関わりから次々と死ぬほど退屈な茶番に巻き込まれ、そのたびに「実は何か得られるものがあるのでは」と可能性を模索したが、尽く裏切られた。

大学での人間関係はストレスの塊である。全員が「いや、絶対これ面白くないでしょ」と断言できるような茶番でも、あたかも貴重な体験をしているかのように、喜びの演技をしなければいけない。特筆すべき部分が何もない一般人を「あいつマジやべえから」とか「こいつキチガイだな」とか、いちいち持ち上げないといけない空気はストレスしか感じなかった。社会では茶番が発生し、それによってストレスを与えられる、ということを教育してくれる良い制度だと思う。

もちろん授業もストレスフル

大学に入った当初は高校時代とは異なる授業形態に期待していた。「自分でカスタマイズ可能!」というシステムに胸躍らない人類がこの世界に存在するのだろうか?しかし、遠足というものは準備をしている時が一番おもしろいというか、いざ授業を受けてみると苦痛で仕方なかった。

内容がよくわからないし、勉強の仕方もよくわからないし、それ以前に椅子に座ってじっとしていること自体が苦痛だった。しかし、周りを見れば流石東大生。授業中に立ち歩くものはめったにおらず、次世代の日本を担うエリートの我慢強さが伺える。と思っていたが、時が経つにつれて授業に出席している学生の数が減っていった。やはり、学生が一流ならストレステストも一流である。大学をあげて「効率良くストレスを与える方法」でも研究しているのではないだろうか。

これについては「寝るかゲームするか」という画期的手法によりある程度ストレスを緩和できたが、授業の内容に追いつけないという問題は解決できず、単位を取れないという欠点を抱えていた。そして、椅子が固かったり机と机の隙間がやたら狭かったりするなど、物理的なストレスについてはどうしようもない。

大学が学生に提供してくるもの、そのほとんどがとにかくストレスで、「これに耐えられないようでは社会で通用しないぞ」という強いメッセージ性を感じた。みんながみんなで我慢するという、日本の美徳というものを意識したのも大学生活あってこそ。みんなで不幸になることの素晴らしさを教えてくれた大学には感謝の言葉しかない。

第一次ストレステスト終了

こうして、学生たちは大学に入ってから人間関係でも勉強でもストレスに晒され続けることになる。幸いなことに、私は最初の2年間、いわゆる前期教養時代のストレステストをなんとか突破することができた。追試をはじめとして、あらゆる救済措置をフル活用していたので、かなり苦労したが、かろうじて工学部へ進学することができたのである。

しかし、工学部には前期教養のような救済措置は存在せず、いや、存在したかもしれないが私の情報網には引っかからず、この激化するストレスに対して正面から向き合う必要が出てきた。当初は気合を入れて正面突破を狙ったものの、戦局は日に日に悪くなる一方で、1年が経つ頃にはストレスで心を折られてしまった。その後も僅かながらも抵抗を続けていたものの、数年後には自ら敗北の意思を示し、ストレステスト不合格の烙印を自らの手で押すことになるのであった。

後で振り返ってみれば、複数人の学生と協力関係を築き上げて授業によるストレスを上手に受け流すべきだったのではないかと思うことがある。しかし、学科のよくわからんつまらん連中と絡むこと自体もストレスなので、結局のところ、ストレスからは逃げられなかったのかもしれない。ストレスを抱えながらも周りに愛想を振りまいて、あたかも楽しんでいるかのように演技をしている東大生たちは尊敬に値する。

ストレステスト最終チェック

もし、ここのストレステストを切り抜けることができれば研究室に配属されたはずだ。私は研究室に配属されていないので詳細は分からないものの、研究室、そして卒論によって濁っている後輩たちを見るに、研究室でもストレステストは続行されていたのであろう。

そして、その後の就活。これも、私は新卒の切符が無かったので参加することすら許されなかったのだが、就活真っ盛りの後輩たちが絶望の未来しか描けていない様子から察すると、ここでもストレステストが発生しているらしい。

大学は入学から卒業まで、余すところなくストレステストが行われている。東京大学を卒業できたということは、これらのストレスに対して耐えることができた、もしくは受け流すことができたかのどちらかであり、それだけで優秀な人間だと誇っていいのだろう。東大卒というのは国によるストレステスト合格の証なのである。そりゃあ世間で東大卒がチヤホヤされるのも道理だろうさ。

留年生は病気を患う権利が無い生き物

ごく普通の肺炎でごく普通に留年する

大学を何度も留年した。そのたびに「次こそ頑張ろう」と決心した。そして最後の年が来た。ここで頑張らなければ卒業できないという大事な場面。それが始まってまもなく、肺炎を患った。久々に体温が40℃を突破した。確か10年ぶりくらい。もはや大学どころではなく、自宅で横になる以外の選択肢はなかった。

1週間がたち、いや、2週間か?とにかく、体調も良くなり大学へ復帰する目処が立った。まだ本調子ではないものの、これ以上休みを長引かせるのもよろしくない。今回こそ頑張らなければという事情もあり、授業に出た。そして気がつく。内容が全く分からない。戦後30年ぶりに日本へ帰国したら焼け野原がビル街に成長していたレベルで驚いた。

工学部の授業は1科目につき週2コマが割り当てられていた。つまり、1週間休むだけで1科目につき授業2回分の遅れが発生するのだ。この2回分の遅れをどうやって取り戻そうか考えている間にも時間は過ぎていく。いつしか授業の内容は自力で追いつけるようなものではなくなり、勝てぬ見込みのない勝負に私のやる気は削がれていって、ついには大学を卒業することを諦めるに至った。

私の最後のチャンスは肺炎によって思いっきり出鼻をくじかれたのである。

本当に肺炎が悪いのか?

授業についていくのがやっとだった人間が病気によって追いつけなくなる。確かにもっともらしいが、よく考えたら私は健康な時も授業についていけない人間だった。「肺炎のせいで留年した」とは言いづらい。周りを見てみると、何度も授業をサボっているのに平然と単位を取っている学生が結構いる。別に2回くらい病気で授業を休んだところで単位には関係ないのではないか。

つまり、病気とか関係なしに、私は実力の問題で大学を卒業できなかっただけなのではないか。とはいえ、病気がマイナス方向に作用したのは事実と言ってよさそうでもある。少なくとも病気のお陰で勉強が捗るということはあり得ないだろう。

留年する奴が悪い

ひとまず、私についての話は置いておくとして、周りの学生について考えてみよう。「普通の人は病気を患った時、どうしているのだろう」と想いを馳せた時、1つの仮説が思い浮かんだ。普通の人は病気で留年しても問題ないのではないか?普通の人は病気で留年したとしても、せいぜい1年卒業が遅れるだけだ。しかし、私は留年に留年を繰り返している。ただでさえ卒業できるかギリギリなのに、病気で更に1年も遅れをとるほどの余裕はない。

つまり、素で留年するようなヤツは病気になる権利を持っていないのだ。留年というやつは、本来、病気を始めとした不測の事態のための救済措置として存在している。そう考えるとすれば、不測の事態が発生してもいないのに留年しているようなヤツは救済されなくて然るべき。

最後に

ただ、結局、病気になった時にどうやってリカバリーすればいいのか、という答えは私には分からない。

大学の定期試験は受験勉強の48倍大変だ

頭が良いのか悪いのか

私は自分の頭が良くない、むしろ悪い方だと思っている。なにせ大学を卒業できなかったのである。駄目な実績が存在する以上、駄目な結論が出ても何も不思議ではない。しかし、それを人前で言うと決まって「いや、東大に合格できたのだから頭が良いでしょ」と反論される。果たしてどちらが正しいのだろうか。

受験は3年4科目

はっきり言って東大に入ること自体は簡単だ。たった1回の試験に全力投球すればいいからだ。とにかく、どれだけの時間を使ってもいいから、試験本番で合格点を叩き出せばいい。高校1年の頃から受験勉強を始めたとして、3年も受験勉強に費やすことができるのだ。自分の場合、数年かけて「解けりゃええんやろ、解けりゃ」の精神で色々な大学の過去問を漁ってたら「東大いけるんじゃね?」となって合格した、という感じなので、あまり苦労した記憶はなかった。


地味に「苦手科目があっても合格できる」というのも大学受験を簡単にしている要因である。私はとにかく数学が苦手で嫌いで、ひたすら数学から逃げ続ける人生を送ってきたし、当然のことながら数学の成績は悪かった。東大入試本番でも数学は120点満点中30点ちょいだった。だが合格した。英語・国語・数学・物理・化学の5科目の点数で合格点を超えればいいので、1科目くらい切ってもいけるのである。各科目に最低点を求める、例えば「数学で60点を超えていなければ他の科目がどんなに良くても不合格」のようなボーダーがあったらなあ、という持論があるのだが、これについては長くなるのでまた今度にしよう。

要するに、大学受験は3年かけて4科目の勉強をすればいいから簡単、という話だ。

定期試験は4ヶ月16科目

それに比べて定期試験はやたらに難しい。なにせ1つの試験に約4ヶ月ほどの期間しか与えられていないのである。その上、やたら勉強しなければいけない項目が多い。1学期に16科目の講義を履修していたとして、4ヶ月で16科目の対策をしなければいけないのである。期間にして大学受験の9倍、科目数にして4倍。つまり、大学の定期試験は受験と比べて48倍大変なのだ(怪しい)。

自分の失敗の一つは、大学受験→定期試験の際に起きたスピードの変化に適応できなかったことにあるだろう。思えば、周りの学生たちは一夜漬けが上手かったように見える。短時間で勉強するスキルに長けていた。どんなにサボっているような学生でも、試験前日から勉強して単位を取るなど、よくある光景だった。それに対して、私は一夜漬けが苦手だった。そもそもやったことが無いレベルだったので、どうやればいいかすら検討がつかない。

「それなら日頃からコツコツ勉強すればいいのでは?」と思われるかもしれないが、16科目を並行してコツコツ勉強するのも難しかった。受験時代の4科目でも結構な負担だったのだから、16科目はきつい。今までの4倍はきつい。時速12kmでランニングしている人に「じゃあ今から時速48kmで走って」と言うのはかなりの無茶振りだろう。それはもう、自動車に乗れというレベルの速度だ。「時速48kmは無理でも時速24km(100m走レベル)なら」ということで、8科目をコツコツ勉強すればよかったのかもしれない。残りの8科目を「出席だけで取れる」レベルのゴミで埋めておけば可能なはずだ。どの科目が楽なのか事前にリサーチすること、実際に受講した上でどの科目を勉強すべきか判断することが苦手だったので私には難しかったが。

確かに私は大学受験では勝利した。しかし、それは大学受験が得意だっただけで、定期試験が得意な人と戦えば負ける。中学・高校と、定期試験が苦手だった。成績も真ん中あたりで可もなく不可もなしという感じだった。定期試験の成績で大学が決まるのならば、間違いなく東大へは行けなかったであろう。頭が良いと言うからには、どちらも得意ではないといけなくて、片方にしか適性がなかった私が頭が良いと名乗るのもおかしい、という話。

 

補足

1学期16科目の根拠は、「私が1年生の1学期に履修した科目数が17科目で、17は素数だから計算しにくいということで16科目にした」というところにある。2年生の夏学期など、やたら暇な時期もあったが、工学部に入ってからもだいたい似たような感じだったので16科目にしているが、このあたりは人によって違いそうなので数字として適切ではないかも?

人は90分で壊れ、105分で死に至る

学生たちのためを思ってできたであろう105分

確かあれは私が4年生、いや、3年生? まあ、とにかく、工学部へ進学してからの出来事である。今まで1コマあたり90分だった授業時間が105分へ延長されたのである。何故そうなったかについてはどうでもいいので忘れたが、私の周りの学生たちの誰もが文句を言っていたことは覚えている。先生たちも「ちょっと105分は長くない?」という雰囲気を出している人もいたし、誰が得をしているのかよくわからない制度だった。少なくとも私にとってしてみれば、大学を中退するハメになった原因の1つなのではと疑っているので、損しかしていなさそうだ。

シベリアで木の本数を数えるだけの簡単なお仕事

105分以前に、90分という時間ですら私にとっては十分に長かった。授業中にやることといえば、黒板の内容を書き写すことと、先生の発言を簡単にメモしておくことだろう。これがもう、ただただつまらないのである。先生の話を聞きながら、ちょっと分からないところがあったとして、「これはどういうことなのだろう」とか「確か前のページに関連してたところがあったような」とか、少しでも考え事をしてしまったらアウト。先生は既に次の話題へ進んでしまっているせいで、ついさっきまでの内容を聞き落としてしまう。黒板の内容も更新されているが、断片的な情報しか書かれておらず、何のことか推測不可能ということがよくある。

授業の中で要求されていること、それは心を無にして黒板・先生の話・配布物から適切に情報を抽出し、教科書の劣化版を自作することではないか。授業の内容を理解する作業を授業中にやるということは悪手なのではないか。結局、実行に移すことはなかったものの、「授業中にひたすら教科書を読み込んだ方が効率がいいのでは?」と何度考えたことか。

さて、授業をどうやって受けるべきだったかの反省は、まだまだ語れそうだが、本題からかなりズレてきたのでまたの機会ということにしよう。ここでは「授業中の作業感は苦行だったよね」ということが伝われば、と。こうして考えてみると、90分が105分になったことではなく、そもそも授業がつまらないということの方が駄目だったのではないかという気もする。

苦痛から逃げるということ

単純作業が苦痛で苦痛でたまらない人間だったので、授業に出るのが嫌で嫌で仕方なかった。「早く終わってほしい。あと何分で終わるのか」と、何度も時計を見るのだが、たいして時間が進んでいなくて、まるで時が止まってしまったかのような錯覚に陥った。あまりにも辛くなった時はトイレへ行くことを口実に廊下をうろうろして気分を晴らしたこともあった。我慢することで手一杯で授業の内容を理解するどころではなく、当然成績は落ちていくばかりだった。当時は「みんなも必死に我慢しているのだから自分も我慢しなければ」と思っていたが、これが大きな間違いだったのかもしれない。

おそらく、この勉強方法は間違っている。ストレスに心を折られかけてしまった結果、真面目に授業を受けることをやめてしまった。しかし、出席点もあるし、何よりも「努力しました感」が出るので授業には出るようにしていた。スマホをいじる、ゲームをする、寝る、などなど、とにかく不真面目になることで90分という時間をしのごうとした。虫のいい話だが、こうでもしないと精神が壊れてしまうのではないかという、ある種の自衛手段のつもりだった。

これでもなお、人の形を保つのは難しかった。授業中に、どんなに画期的な暇つぶしをやっていたとしても、常に罪悪感に晒されるという、新たなる試練が待ち構えていた。常に見張られているような感覚、いつ先生に怒られてもおかしくない恐怖、周りの学生からも白い目で見られているのではという疑念。ゲームを楽しむどころではなく、眠りも浅く、妙な緊張感を耐えなければいけない。

かつては楽しかったことも、授業中に不快感を覚えてしまうと、授業が終わってからも不快感が持続するようになった。外で遊ぶ時も、家で寝る時も、授業中と同じような緊張感が走り、楽しさが半減した。「自分が今楽しんでいることは悪いことで、罪悪感を感じなければいけない」という癖がついたのではないか。

結局、真面目な人間にも、不真面目な人間にもなりきれなかった自分には、休学という形で逃げるしかなかった。逃げなければ心が壊れてしまう、そう判断した。
(まあ、休学した理由はこれだけではなかったのだが)

ハードモードでコンティニュー

そして、休学から戻ってきた私を待ち受けていたのが105分授業だった。90分でもかなりギリギリだったのに、更に15分も授業が延長されていて、果たして耐えることができるのだろうか?火を見るよりも明らかだが、答えはNOだ。我慢できないのはやる気がないからだ、などという精神論で乗り切ろうとしたのも間違いだった気もするが、無為無策に等しい状態で、前回と同じ過ちを回避するなどできるわけがない。結局、授業が90分だった時代と同じことが起きて、+15分だけ多くのダメージを受けるだけだった。この15分の差にどれだけ意味があるのか、90分も105分も大差がないのではないか、と解釈することもできるが、「授業時間が105分になったことによるメリットはなかった」ということは断言していい。

元気だった頃は「講義室にガソリンを撒いて火でもつけてやろうか」くらいの余裕はあったものの、段々と先進を削がれていって、最終的には「大学関係者を皆殺しにするよりも自分1人を殺す方が楽」という結論に至った。そしてある日、授業を抜け出して建物の最上階へ行き、「授業中に死者が出たら偉い人の面子が潰れて楽しいのでは?」と105分ほど長考するようになったあたりで、このままでは危ないと気付き、授業に出ることをやめた。

ゲームは諸悪の根源か

はじめに

このたび、晴れて東京大学を中退することになった。何故中退することになったのか、病気・事故・貧困といった特段の事情はない。なんてことはない、ごく普通の一般的な大学生であった私は他の大学生たちと同じような、平凡な日常を送っていた。つまり、私の中退は「普通に単位が足りなかっただけ」で片付けていいような、ささいな問題だろう。しかし、そんな一言で終わらせてしまうのも面白みに欠ける。もう少し原因を掘り下げてみてもいいのではないか?私にとっての普通も他の人からすれば異常だったりするのではないか?よくよく考えると周りの同期は何事も無く卒業しているのだから、「何事もなかったのに中退した」というのはおかしい。自分の大学生活に何があったのか、一度しっかり整理したいということで、このような形で文章にまとめてみようと思った。

これは私が大学でしでかしたこと、やらかしたことを逐一振り返った反省会である。それを読んで「くだらねーことで中退したのだなあ」と笑われていいし、「同じ轍を踏まないようにしよう」と反面教師にされるのもいい。あまり真剣に後悔するのではなく、酒の席で愚痴って肴にするくらいのテンションで行こう。

暇さえあればゲーム

私を知る人からは「ゲームのせいで中退したんじゃないの?」と言われることがよくある。実際、周りに数多く生息している留年生たちはゲーム漬けの生活を送っていたし、私も標準的な日本人よりはゲームをやっている人種だった。ゲームをはじめとした娯楽のせいで留年・中退する。なんとももっともらしい理由ではないか。つまり、なまけものから娯楽を取り上げれば、心を入れ替えて真面目に勉強。余裕の卒業からの「めでたしめでたし」。全ての問題が解決してハッピーエンド! 素晴らしい! とにかく、ゲームさえなくなれば大学へ行くようになる。そう考えて、ゲームから離れていた時期があった。

ゲームを断てば

結論から言おう、これは全くの無意味で時間の無駄だった。「一切の娯楽を断てばどうなるか?」の答えは「何もしなくなる」だった。ゲームはやらない、かといって大学へも行かない。やることが何もない。何もないから寝ることしかできない。たまにネットの世界を一瞥することでギリギリ現世とのつながりを保てていた。それ以外はずっと布団の中。眠りすぎて、露ほども眠気を感じないのでぼーっとしている時間の方が長かったかもしれない。今でも当時のことが思い出せない。そこだけ記憶が抜け落ちているような、本当に何もない虚無がそこにはあった。やるべきことはあるのに、できることは日に日に失われていく。その焦燥感、罪悪感だけが募っていく。だが、それは辛くもないし、苦しくもなかった。それが当たり前で自然だから、ただありのままを受け入れるだけだった。こうなってしまうと、もはやゲームもできなくなる。やる気がでない。ロウソクの灯火を消されてしまったかのように。

やることがないのだから大学へ行けばよかったのだが、そもそも大学へ行くという発想が思い浮かばなかった。それ以前に、発想をするという行為そのものが困難になっていた。ゲームをやる気力すら失われてしまったのに大学へ行くだけの気力を確保することが可能なのだろうか?

補足:これは「気力を出すぞ!」と決意するだけで「はい、気力が出た!」とならなかった私のせいかもしれない。無から気力を出すという行為は、燃料無しで車を走らせるくらい簡単なことなので、誰もができて当たり前のはずなのだ。

暇だったからこそのゲーム

「ゲームをやめれば大学へ行くようになる」が嘘で、それどころか状況が悪化するということはよくわかった。因果関係としては、「ゲームをしたい→時間がなくなる→大学へ行かなくなる」ではなく、「大学へ行かなくなる→時間があまる→ゲームくらいしかやることがない」が正解だったのではないか?ゲームをやることよりも、大学へ行く方がハードルが高いに決まっている。ゲームもできないような奴が大学へ行けるわけがない。それにも関わらず、ゲームさえやめれば万事解決とは少し短絡的すぎた。ゲームをやっていることが問題なのではなく、大学へ行けないことが問題なのだということを完全に見落としていた点については反省。奪うのではなく与える。大学へ行く理由・きっかけを作りに行く方向で動く方が効果がありそうである。


そして、ゲームを失ってみて分かった。ゲームのおかげで最低限の気力を維持できていたのだ。「やることがない」というのがこんなにも辛い(しかも辛いことを自覚することすらできない)ことだとは想像もできなかった。大学から目をそらしてゲームに責任転嫁をしていたことについては、ゲームに対して本当に申し訳ないと思っている。ゲームに罪はなかった。それどころか、大学へ行くことができなくなった自分に生きる理由を与えてくれた、感謝するべき存在だった。

 やはり、大学へ行けないことの原因は大学に求めるのが筋であろう。というわけで、次からは何故大学へ行くのが嫌で嫌で仕方なかったのかを考えたい。