どうして私が東京大学を中退したのか反省する会

東京大学を中退した人が何が原因なのか考えて悔いて反省して笑い飛ばす

留年生は病気を患う権利が無い生き物

ごく普通の肺炎でごく普通に留年する

大学を何度も留年した。そのたびに「次こそ頑張ろう」と決心した。そして最後の年が来た。ここで頑張らなければ卒業できないという大事な場面。それが始まってまもなく、肺炎を患った。久々に体温が40℃を突破した。確か10年ぶりくらい。もはや大学どころではなく、自宅で横になる以外の選択肢はなかった。

1週間がたち、いや、2週間か?とにかく、体調も良くなり大学へ復帰する目処が立った。まだ本調子ではないものの、これ以上休みを長引かせるのもよろしくない。今回こそ頑張らなければという事情もあり、授業に出た。そして気がつく。内容が全く分からない。戦後30年ぶりに日本へ帰国したら焼け野原がビル街に成長していたレベルで驚いた。

工学部の授業は1科目につき週2コマが割り当てられていた。つまり、1週間休むだけで1科目につき授業2回分の遅れが発生するのだ。この2回分の遅れをどうやって取り戻そうか考えている間にも時間は過ぎていく。いつしか授業の内容は自力で追いつけるようなものではなくなり、勝てぬ見込みのない勝負に私のやる気は削がれていって、ついには大学を卒業することを諦めるに至った。

私の最後のチャンスは肺炎によって思いっきり出鼻をくじかれたのである。

本当に肺炎が悪いのか?

授業についていくのがやっとだった人間が病気によって追いつけなくなる。確かにもっともらしいが、よく考えたら私は健康な時も授業についていけない人間だった。「肺炎のせいで留年した」とは言いづらい。周りを見てみると、何度も授業をサボっているのに平然と単位を取っている学生が結構いる。別に2回くらい病気で授業を休んだところで単位には関係ないのではないか。

つまり、病気とか関係なしに、私は実力の問題で大学を卒業できなかっただけなのではないか。とはいえ、病気がマイナス方向に作用したのは事実と言ってよさそうでもある。少なくとも病気のお陰で勉強が捗るということはあり得ないだろう。

留年する奴が悪い

ひとまず、私についての話は置いておくとして、周りの学生について考えてみよう。「普通の人は病気を患った時、どうしているのだろう」と想いを馳せた時、1つの仮説が思い浮かんだ。普通の人は病気で留年しても問題ないのではないか?普通の人は病気で留年したとしても、せいぜい1年卒業が遅れるだけだ。しかし、私は留年に留年を繰り返している。ただでさえ卒業できるかギリギリなのに、病気で更に1年も遅れをとるほどの余裕はない。

つまり、素で留年するようなヤツは病気になる権利を持っていないのだ。留年というやつは、本来、病気を始めとした不測の事態のための救済措置として存在している。そう考えるとすれば、不測の事態が発生してもいないのに留年しているようなヤツは救済されなくて然るべき。

最後に

ただ、結局、病気になった時にどうやってリカバリーすればいいのか、という答えは私には分からない。